「助けて」が言えなかった理由
がんばり続けるのが当たり前だった
子どもの頃から、「迷惑をかけないように」「ちゃんとしなきゃ」と気を張ってきた。
親や先生、周囲の期待に応えようと、自然と「がんばる自分」でいることが日常になっていた。
大人になってもその姿勢は変わらず、家庭でも職場でも「大丈夫そうな自分」でいようとしていた。
「甘えてはいけない」「弱音は見せられない」——そんな思いが染みついていた。
たとえば……
- 仕事が詰まっていても「任せてください」と引き受ける
- 育児に疲れていても「平気だよ」と笑ってごまかす
- 心が折れそうなときでも「なんとかなる」と自分に言い聞かせる
でも、その「なんとかなる」は、
本当は「誰か助けて」と言いたかった気持ちの裏返しだったのかもしれません。
「平気なふり」が習慣になっていた
介護の現場で働きながら、家では年子の男の子2人を育てる日々。
朝から晩まで休む間もなく、仕事も家庭も全力で走り続けていた。
現場では、ミスが許されない緊張感のなか、利用者さんと真剣に向き合い、職場のチームとも信頼関係を築こうと気を張っていた。
家に帰れば、食事・風呂・寝かしつけ——次から次へとやることがある。
正直、くたくただった。
でも、「管理職だから」「パパだから」と、周囲の目を気にして弱音を見せるわけにはいかないと思っていた。
「もう限界かも」——そう思っても、
それを言葉にする勇気がなかった。
それでも少しずつ変わった“きっかけ”
「頼られること」の温かさに気づいた
ある日、いつも「すみませんね」「申し訳ないね」と遠慮がちだった利用者さんが、ふとこう言ってくれた。
「あなたがいてくれて、本当に助かってます」
その言葉を聞いたとき、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「ありがとう」と言われるよりも、「頼りにしている」と伝えられたことで、はじめて自分の存在が認められたような気がした。
その瞬間、ふと気づいたんです。
「頼られるって、あったかい」って。
そして、自分も本当は、誰かにそう言ってもらいたかったんだなと。
「信じること」が頼ることだった
「助けて」と言うことは、
“できない自分”をさらけ出すことじゃない。
「迷惑をかける」「重荷になる」なんて思わなくていい。
本当は、
“あなたを信じている”って伝えることなんだと気づいた。
助けを求めることは、弱さではない。
むしろ、信頼とつながりを深める大事なコミュニケーションの一つなんだと思えるようになった。
「助けて」が言えないときの3つのヒント
1. まずは“自分”に言ってみる
「助けて」と声に出すのが怖いなら、まずは心の中で自分に言ってみてください。
「助けてって言いたかったんだよね」
「よくがんばってきたよね」
誰にも言えなくても、自分だけは気づいてあげる。
その一言が、固くなっていた心を少しほぐしてくれるかもしれません。
2. ハードルの低い方法で「頼る」
「助けて」と直接言うのが難しいなら、もっと気軽な形で“つながり”を感じられる方法があります。
- LINEで「今ちょっとしんどい」と送ってみる
- SNSで「今日もがんばった」とつぶやく
- noteに、名前を出さずに本音を書いてみる
完璧な言葉じゃなくていい。
うまくまとまらなくても大丈夫。
“伝える練習”から始めてみることも、自分を助ける第一歩です。
3. 「助けてもらう」ことを急がなくていい
「助けて」と言うことと、「すぐ助けてもらう」ことは、必ずしもセットじゃありません。
ただ、“今の自分の状態を伝える”だけでもいい。
誰かに言葉を聞いてもらうだけで、自分を責める気持ちが少しずつゆるんでいきます。
「助けて」の前に、「ちょっと疲れてる」「今つらい」と言えるだけで、十分に大きな一歩です。
まとめ:「助けて」は言葉よりも“気づき”から
「助けて」って、言えない日があってもいい。
でも、“言えない自分”にちゃんと気づいてあげることが、なにより大切です。
私は今でも、うまく言えないときがあります。
でも、自分にこう問いかけるようにしています。
「またひとりで抱えてるな。じゃあ、ちょっとだけ頼ってみようか」
誰かに助けてもらうことは、
“弱さ”じゃない。
“あなたらしさ”を守るための、やさしい勇気です。
この記事が、あなたの心をほんの少しでも軽くできたなら。
それだけで、私は嬉しいです。

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